いつも月夜に本と酒

ライトノベルの感想を中心に興味のあることを日々つらつらと書き連ねるブログです。



「わたしの魔術コンサルタント」羽場楽人(電撃文庫)

わたしの魔術コンサルタント (電撃文庫)
わたしの魔術コンサルタント (電撃文庫)

魔術をつかう人に希望を見つける――それこそがかつて師を救えず、己の魔術を失った過去を持つ魔術士・黒瀬秀春が再び立ち上がった理由だった。
「お父さん会いたかった!」
東京の片隅、薄汚れた古い雑居ビルで魔術コンサルタントを営み、魔術に悩める人々のために奔走する日々のなか、秀春を父親だと勘違いした、かつての師の娘・朝倉ヒナコは現れた。
「魔術は、唯一のつながりなんです」
魔術の才に愛されながらも、魔術によって家族を奪われた少女ヒナコ。
「奇跡に見合う努力はしてきた」
絶望と喪失の果て、秀春だけが見つけ出した可能性という新たな未来。
東京で出会った二人が織り成す魔術と居場所の物語。

……うん、まあ、悪くはなかったと思うのですよ。
相手の魔術を崩すだけのカウンター技しか使えない主人公に、魔術は最強クラスでも使い方がなってないヒロイン。その幼いヒロインを信念を持った主人公が育てるシチュエーション。脇を固めるサブキャラ達の個性も申し分なし(千草さんがエロくて好きです)。いい塩梅に中二心をくすぐる技名や二つ名の数々に、コメディとシリアスのメリハリは付いているし、バトル一辺倒ではない全体の構成のバランスも良い。
台詞が必要のないところまで芝居掛かっていて、日常会話としては不自然なところがあるのが難点と言えば難点だけど、現代異能作品のツボを押さえた優等生な作品だった。
しかしただ一点、この作品の魔術がどういったものなのか理解できなかった。どう読んでも矛盾があるように思えてならない。
主人公は魔力が無くなったのではなくて自分固有の魔術が無くなったってことなのかな? 魔術が使えなくなって魔術崩しという詠唱技術しか使えないと言っているのに、魔術崩しの出力を上げればどうこうって話が出てきて混乱した。そもそも魔力がなくなるって概念がない? でも残りカスとも言われてるんだよなあ……。
あと現心相(カウル)って結局なに? それを使って魔術を簡略化するって説明されているのに、直後にそれを使えないヒナコがそれ以上に詠唱を簡略化できているのはどういう理屈? さらに極現心相なるものまで出て来て、これが現心相とこれといった差異が見られないものだから、もうちんぷんかんぷん。
結局、最後まで魔術の概念が理解出来ずにそればかりが気になってストーリーを楽しみ切れなかった。バトルありの文章作品でバトルシーンの核である異能のイメージを作者と共有できないのは致命傷。