いつも月夜に本と酒

ライトノベルの感想を中心に興味のあることを日々つらつらと書き連ねるブログです。



すぎとしか。それとエモ

これは酔っ払いのおっさんの戯言にして愚痴である。よって山もオチもないのでそのつもりで。
この文章を書いている現在(日曜22時過ぎ)、ビール1缶、ワイン 母と二人で1本、米焼酎ロック1杯、芋焼酎ロック1杯を空けた状態なので悪しからず。



では本題





最近よく使われる言葉で、目につく/耳につく言葉の筆頭が

可愛すぎる、美人すぎる□□などの「〇〇すぎる」である。
過ぎるとは本来、過多、過剰など、多いと支障がある場合に用いられるネガティブな言葉だが、現代、特にSNSでは「(通常の)〇〇より上」という意味でポジティブな意味で使われている。
しかし、軽々しく使われ過ぎていて、最早「過ぎ」ている感じが全然しない。「可愛い」と「可愛すぎる」の間に然したる差がないところまで来ている気がする。むしろ「すぎる」を付けた方が意味が軽くなっているまである(この「まである」の用法もアレだな……大体わたりんが悪い)
これに関しては語感にそれほど違和感がないのこともあり、自分でも感想で度々使ってしまっているので、あまり使わないように気を付けなければと日々思っている言葉である。



それとは逆に語感に違和感が強くて耳につく言葉として

「感謝しかない」「期待しかない」などの「〇〇しかない」がある。
これも「〇〇すぎる」と同様に通常は「不安しかない」などのマイナスの強調や、「これしかない」などの供給不足の時など、ネガティブな意味に用いられる言葉であるが、今はonlyの意味を込めてポジティブな意味を強調するように用いられている。
これが自分には気持ち悪くてしょうがない。プラスの言葉にマイナスの修飾を付ける語感の悪さが受け付けられなくて、聞くたびにイラっとする。「〇〇すぎる」と違い、これは自分では絶対に使わない言葉である。



他に最近(というほど最近ではないが)よく目にする言葉として「エモい」「バズる」がある。

「バズる」は何かの感想を語る時に出てくる言葉ではなく使う機会がないので割愛するが、「エモい」は感想/レビューと相性のいい言葉なので言及しておこう。
エモいとはemotional(エモーショナル)が語源で、感情が高まるもの/時に使われる言葉、という知識はある。が、自分の中で「感情が高まる」と「エモい」が感覚としてイコールにならない。要するにピンと来ない。
一昔前のオタク言葉で「萌え」があるが、これは自分の中の感覚としてすんなり受け入れらたので、死語になりかけの今でもよく使ってしまうが、「エモい」は感覚的に分からないので使わないのではなく使えない。本でもアニメでも感情が高まった時に、その単語が自分の頭の中に浮かんでくることがないから。



まとめると
〇〇すぎる =使い過ぎで意味が軽くなっているので使用を控えようと思っている。
〇〇しかない=語感が気持ち悪くて嫌い。
エモい   =知識としてはあっても感覚的に捕えられなくて使えない。
といったところ。
言葉が時代と共に変化することに関しては良いも悪いもないとは思っているが、日本語はなるべく正しく綺麗に使ってほしいという気持ちも。(自分ではまるで使えていないことには目を逸らしつつ)
また、自分の中の感覚にないものは使いたくても使えない。だから今後も使わない。


という、取り留めのないお話でした。

結論:良い子のみんなはちゃんぽんはやめましょう。







で、何故こんなどうでもいい話をしているかというと、
今月は13日発売のGA文庫が15日になっても発送されないからネタがなかったの(´・ω・`)
かといって、出掛けるのはイヤなの。
コロナより 花粉が怖い 田舎者(五七五)