いつも月夜に本と酒

ライトノベルの感想を中心に興味のあることを日々つらつらと書き連ねるブログです。



「レーエンデ国物語 喝采か沈黙か」多崎礼(講談社)

ルミニエル座の俳優アーロウには双子の兄がいた。天才として名高い兄・リーアンに、特権階級の演出家から戯曲執筆依頼が届く。選んだ題材は、隠されたレーエンデの英雄。彼の真実を知るため、二人は旅に出る。果てまで延びる鉄道、焼きはらわれた森林、差別に慣れた人々。母に捨てられた双子が愛を見つけるとき、世界は動く。


虐げられてきた民族の長きにわたる革命を謳う、本格ファンタジー第三弾。
二巻『レーエンデ国物語 月と太陽』のテッサの死から約百年後。劇作家として才に溢れる天才の兄と、役者であり男娼、脚本も熟すが凡人の弟。演劇に携わるレーエンデ人の兄弟が、過去の英雄テッサの真実を紐解き、芸術の力で飼われることに慣れてしまったレーエンデ人たちに奮起を促す、これまでとは全く違う形の革命の物語。
前巻の『月と太陽』は成功した革命の綺麗ごとを見せるのではなく、革命が起こるまでの理不尽と失敗した革命の悲惨さを見せつけてくる、読んでいてしんどい物語だった。それが、ただ強者に踏みにじられただけの無残な敗北ではなかったことを、悲惨なだけではなかったことを証明してくれる、しんどい思いをして2巻を読み切った甲斐があったと思わせてくれる3巻だった。
帝国の支配で闇に葬り去られたテッサの偉業を、細い手がかりを手繰りながら明らかにしていく兄弟の旅路は、テッサがどんなに踏みつけられても力強く生きていた証を見つける度に、彼女が自由を求めた志が一部でもレーエンデ人の心の片隅にちゃんと残っていることに、一つ一つ感動してしまう。それに、過去二巻で知っている地名、知っている家名が出てくると、世界が繋がっていることが感じられるのが単純に嬉しいという側面もある。
それにしても、レーエンデ国物語は同じ舞台の同じ民族の革命の物語なのに、各巻ごとに見える景色と感じる空気が全く違う。
1巻は森の雄大な自然が舞台で、厳しい現実と相対しながらも、情景は美しく感じる空気はずっと澄んでいた。2巻は炭鉱と戦場が舞台で、見える景色に緑は少なく、空気は乾いていて時折血の匂いが混じっていた。それに対して、この3巻は娼婦の双子の息子達が主役で舞台も娼館がメイン。見える景色は寂れた下町で、漂う空気は饐えた甘い匂い。こうも別の顔を見せてくれるファンタジーのシリーズは初めてだ。
3巻もその世界にグッと引き込んでくる美しい物語だった。
前巻より希望があったとはいっても、まだまだ革命の種が蒔かれたばかり。来年刊行予定の4巻5巻で彼らの意志を継ぐ者たちがどのように革命を成し遂げていくのか、また今度はどんな景色を見せてくれるのか。今から楽しみ。