いつも月夜に本と酒

ライトノベルの感想を中心に興味のあることを日々つらつらと書き連ねるブログです。



「可燃物」米澤穂信(文藝春秋)

彼らは葛を良い上司だとは思っていないが、葛の捜査能力を疑う者は、一人もいない。
群馬県警利根警察署に入った遭難の一報。現場となったスキー場に捜査員が赴くと、そこには頸動脈を刺され失血死した男性の遺体があった。犯人は一緒に遭難していた男とほぼ特定できるが、凶器が見つからない。その場所は崖の下で、しかも二人の回りの雪は踏み荒らされていず、凶器を処分することは不可能だった。犯人は何を使って〝刺殺〟したのか?(「崖の下」)
榛名山麓の〈きすげ回廊〉で右上腕が発見されたことを皮切りに明らかになったばらばら遺体遺棄事件。単に遺体を隠すためなら、遊歩道から見える位置に右上腕を捨てるはずはない。なぜ、犯人は死体を切り刻んだのか? (「命の恩」)
太田市の住宅街で連続放火事件が発生した。県警葛班が捜査に当てられるが、容疑者を絞り込めないうちに、犯行がぴたりと止まってしまう。犯行の動機は何か? なぜ放火は止まったのか? 犯人の姿が像を結ばず捜査は行き詰まるかに見えたが……(「可燃物」)
連続放火事件の“見えざる共通項”を探り出す表題作を始め、葛警部の鮮やかな推理が光る5編。


5編の短編からなる米澤穂信初の刑事ミステリ。
密室だとか変死体だとか事件自体が不可解/不可能だったり、奇抜な推理が出てきたりはしない、地道で地味な捜査が光る地に足のついた刑事ドラマ。
現場検証で上がってきた証拠をくまなく精査し、出来る限りの証言を部下の足で集めさせ、違和感を覚えたことはしつこく調べる入念な捜査。出来ることを不足なくやり切った上で、主人公の葛警部がこれまで培ってきた経験と刑事の感を駆使して、真実へとたどり着く。
ミステリらしく最後の最後で上辺の事実が裏返る事件もあるが、そういえばあれが伏線だったのかと後から気付くような大どんでん返しではなく、理詰めで一手ずつ盤面をひっくり返していくような逆転劇で、アッと驚く結末がない代わりに納得感が強い。
また、本来目立ってはいけない刑事を主人公にしたからなのか、米澤作品には珍しくキャラクターの個性が強くない。よく出て来る菓子パンとカフェオレが一番存在感があったのでは?と思うくらい。一方で、ちらほらと後味苦めが混じる辺りは米澤作品らしい。
5編中好みなのは、事実の積み上げによって綺麗な“返し”が決まる5話目の『本物か』一番。次が種明かし前に十全に答えに辿り着けた嬉しさも加味して一話目の『崖の下』。序盤の鑑識の何気ない一言が実は……な伏線がにくい。
どこまでもフェアに作られていて、ミステリに使う形容じゃない気はするけれど、質実剛健なミステリという印象の作品だった。